旧伴家住宅とは

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旧伴家住宅は、江戸時代初期の豪商「伴庄右衛門」が本家として建てた商家です。
7代目伴庄右衛門能尹が伴庄右衛門家本家として、文政10年(1827)より天保11年(1840)の十数年をかけて建築したものですが、明治時代になって当時の八幡町に譲渡してから小学校・女学校と変遷しました。戦後は近江兄弟社図書館として使用され後に近江八幡市立図書館となり、その後の整備事業を経て、現在は旧伴家住宅として公開されています。


伴庄右衛門と伴家

伴庄右衛門は商家として畳表、蚊帳、扇子、麻織物を中心に商売を行い、大阪や京都にも出店していました。やがて江戸の日本橋にも大店を構え、為替業務や大名貸しもするようになっていました。
伴庄右衛門家の屋号は扇屋といい、商号として「地紙一(じがみいち)」を使用しています。

五代目の資芳(すけよし)は質素・倹約・勤勉を旨として商売をしていましたが、文化芸術にも深い造詣を持ち、若くして隠居し、伴蒿蹊(こうけい)と称して江戸中期を代表する歌人、国学者として道を究めました。当時のベストセラーとなった「近世畸人伝」の著者としてその名を馳せました。

今に残る旧伴家住宅は七代目の能尹(よしただ)が、江戸時代後期に十数年をかけて建築したと言われています。当時としては珍しい、三階建ての極めて規模の大きい建物で地震に堪えうる堅固な建物を目指して建てたという記録が残っています。

隆盛を誇った伴庄右衛門家でしたが、江戸時代の末期から急速に家運が衰えました。分家の伝兵衛家はその後も東京で商売を続けています。


建物の歴史

明治以降は学校、図書館として地域の人々に親しまれ、平成16年4月からは明治期の学校と同じ状況に復元・整備され、公開されています。
昭和14年、八幡商人の西川庄六氏(現メルクロス株式会社)が設立した財団法人八幡教育会館の所有となり、市民の文化や教育のために活用する目的で長らく近江八幡市に無償で貸与されていましたが、資料館の指定管理者制移行に伴って、平成24年より公益財団法人八幡教育会館が管理と運営を行っています。


伴庄右衛門家住宅 歴史

寛永8年 (1631)伴伝兵衛道悦(どうえつ)の四男として彦十郎が生まれる
慶安3年 (1650)彦十郎、伴庄右衛門資次(すけつぐ)として独立
明暦4年 (1658)大坂店開店(資次28歳)
寛文13年(1673)江戸日本橋店開店(資次43歳)
享保18年(1733)伴弥兵衛四世資武(すけたけ)の長男として富二郎(後の伴蒿蹊(こうけい)) 京都三条通り高倉西入る菱屋町に生まれる
元文5年 (1740)富二郎、伴庄右衛門家の養子として彦重郎と名乗る
寛延3年 (1750)彦重郎、伴庄右衛門資芳(すけよし)として五代目を継ぐ
明和3年 (1766)伴資芳隠居し、六代目資寿(すけもと)に譲る
明和5年 (1768)資芳(すけよし)剃髪し、蒿蹊(こうけい)と名乗る
安永9年 (1780)伴庄右衛門能尹(よしただ)が七代目となる
寛政2年 (1790)蒿蹊「近世畸人伝(きんせいきじんでん)」著す
文化3年 (1806)蒿蹊死去
文政2年 (1819)六月、強烈な地震により八幡本宅大破
文政10年(1827)宏大堅固な家屋を新築し始める
天保11年(1840)能尹(よしただ)死去に伴い、建設終了
明治6年 (1873)八幡西小学校 開設
明治18年(1885)新町三丁目外六十五ヶ町聊合戸長役場 開設
明治26年(1893)滋賀県蒲生郡八幡尋常高等小学校 開設
明治40年(1907)女子実業補習学校 付設
大正3年 (1914)八幡幼稚園 付設
大正6年 (1917)実科高等女学校 付設
大正9年 (1920)実科高等女学校を町立高等女学校とし、寄宿舎設置
昭和13年(1938)本校舎改築
昭和22年(1947)近江兄弟社図書館 開設
昭和51年(1976)近江八幡市立図書館となる
平成9年 (1997)新図書館の開設に伴い、図書館の役目を終える
平成10年(1998)整備事業始まる
平成16年(2004)整備事業終了、旧伴家住宅 開館
旧伴家住宅内にある伴蒿蹊の石碑
近江八幡図書館
整備の際、床下から出てきた土間